2018年4月3日

殺生ヒュッテと小林喜作

以前、芥川龍之介の槍ヶ岳登山について書きましたが、今回のブログでは、山小屋つながりということで、槍ヶ岳の殺生ヒュッテを取り上げたいと思います。

何はさておき、槍ケ岳といえば、登山を始めた人がまずは憧れる山ではないでしょうか。かくいう私は、20165月に山岳会に入会し、槍ヶ岳登頂を目標に師匠のN沢さんの指導のもとでがんばってきました。その年の9月に頂に立った時の感動は私の登山の原点であり、今でも大切な思い出です。そして、その際、私たちが泊まったのが、この殺生ヒュッテなのです。
殺生ヒュッテを見下ろす

槍ヶ岳の肩にある槍ヶ岳山荘(650人収容可能)に比べると、その徒歩で30分ほど下方にある殺生ヒュッテは槍ヶ岳に朝一で登ろうとすると少し不利ですが、比較的空いていて穴場なんです!

さてさて、この殺生ヒュッテをつくったのが、「喜作新道」*をつくったことでも知られる小林喜作です。1922年(大正11)に営業を開始しました(当時は殺生小屋)。
*表銀座の一部で東鎌尾根からの道。それまで4−5日かかった中房温泉から槍ヶ岳間を1日で抜けることを可能にした。



ここで、槍ヶ岳の歴史を少し整理してみましょう。

1828年(文政11) 播隆上人が初めて槍ヶ岳に登頂
1878年(明治11)  ウィリアム・ゴーランド
1892年(明治25) ウォルター・ウェストン
1902年(明治35) 小島烏水
1907年(明治42)    芥川龍之介
1922年(大正11 殺生小屋営業開始
1926年(大正15)に 穂苅三寿雄が槍ヶ岳山荘を建造

上記のように、芥川龍之介が槍ヶ岳を訪れた当時は、まだ営業小屋はありませんでした。彼の記述や友人の証言によると、案内役の上條嘉代吉(嘉門次の長男)とともに、播隆上人が使ったという岩小屋(坊主岩小屋)に泊まったのではないかと考えられています。
見たことのある方はご存知のとおり、岩「小屋」というより、岩の穴ぐらですよね・・・。 

小島烏水が槍ヶ岳を「山水無尽蔵」で紹介したあと、多くの日本人が槍ヶ岳を目指すようになったということですが、営業小屋ができたことも大きかったのではないかと考えます。言い換えれば、最初に小屋と登山道をつくった喜作は先見の明と商才があったといえましょう。

さて、小林喜作というのは、どういう人だったのでしょう。
喜作は、北アルプスで活躍する腕利きのマタギで、カモシカや熊の毛皮を売って生活していました。喜作新道も、元々はカモシカなどの足跡が残る獣道を彼が整備して人が通れるようにした、ということですが、山の動物の生態を知り尽くしている彼だからできたことでしょう。
 なお、信州では狩猟することを「殺生する」というので、小屋の名前もそれにちなんでいるそうです。

なお、 上記の話は、山本茂実著「喜作新道」に詳しいですので、興味がある方はぜひご一読ください。

居心地は別に良くないです・・・
 さて、私が2017年に殺生ヒュッテを再訪した際「喜作新道を読んできました(^o^)/ 」と、小屋のマスターに伝えたところ、喜んでくださって、喜作が殺生小屋を建てている間に寝泊まりしていたという石室に案内してくださいました。テント場からちょろっといったところにあります。

坊主の岩小屋と同じような見た目・・・天井の圧迫感も半端ないし、半泣きになってすぐ出たかったのですが、マスターが「なかなか居心地がいいでしょう?」とニコニコとおっしゃるので、全力で笑顔を作って写真を撮っていただきました・・こんなところで寝泊りなんて(T^T)。芥川龍之介って写真で見るとひ弱そうな印象ですが(失礼)、なかなかのタフガイだったんだなぁ・・・。

ところで、中房温泉-常念-東鎌尾根を経て槍ヶ岳を目指すルートを「表銀座」と呼びますよね。一般には、多くの人でにぎわっているから「銀座」とついたと考えられているようですが、山本茂実は、「喜作が殺生小屋で夕食をとってから、ひょいひょいと銀座を歩くように中房温泉に下って夜に一杯飲んだから「銀座」と呼ばれるようになった」と書いています。まだ表銀座を歩いたことがない私ではありますが・・・、こちらのの説を強く支持したいと思います。喜作のぶっ飛んだ健脚ぶりを現代にも伝えてくれていて、ロマンがあるではないですか。山男に惚れっぽい私なのであります。



新米山研委員わだこ記

5 件のコメント:

  1. ブログがアクティブなのは、良い事です。
    日本山岳会も変わりつつ有りますね。

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    1. ぎんさん、コメントをありがとうございます。細々とですが、書きたいことを書いていこうと思いますので、今後も読んで頂けたら嬉しいです♪

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  2. ボチボチ山研の開所作業だと思いますが、頑張って下さい。
    元川さん、安井さん、柴山さん、宜しくお伝えください。

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    1. わぁ、やっぱりあの銀さんでしたか!元川さんたちに伝えます。開所は21日の週で、山研委員一同張り切っております。いつかお目にかかれたら嬉しいです〜!

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  3. 山研には、昨年はかおを出せませんでした。
    もう、一昨年になりますが、南極ビンソンマシフ行ったり、自分の遊びで(*^_^*)忙しくて・・・
    中々、お手伝い出来なくて、申し訳なく、今回、安井さんに、現地協力委員辞退させて頂きました。
    元川管理人さんに、開所の日に野菜をお送り致します。
    FBで、奥原さんのコメント見てると、雪は例年通りみたいですね。
    頑張って下さい^ ^

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