投稿募集

公益社団法人日本山岳会 上高地山岳研究所です。
上高地の四季、さんけんで過ごされる会員の皆さんの様子をお届けします。

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2018年4月25日

開所しました!! 2018年開所レポート

山岳研究所は本日4月25日に開所いたしました。
今年も、皆様のお越しをお待ちしております。

さて、今回のブログでは、開所作業の模様を新米目線でレポートしようと思います。

開所作業には大きく分けて、①建物周り、および②水力発電関連の2つがあります。

まずは、建物。一冬の間山研を守ってくれていた雪囲いを外していきます。はめている板も、土嚢も重くて、窓を開けるのも見た目以上に重労働なんです・・・皆様お疲れ様です!

特別ゲストのYPさん!
高い窓も、ひょひょいと華麗に拭いてくださいました。





そんな中、トラブル発生!山研の水をためているタンクに亀裂が入っていました。
ただでさえ古いこのタンク・・。今年は雪は多くなかったものの寒さが厳しかったようで耐えられなかったのでしょう、とのこと。

水が使えなかったら大変!!と私一人でオロオロしていましたが、高橋先輩や安井理事他、みなさんが職人芸でバチッと補修してくださいました。ほっ。
タンクを覗き込む柴山委員長


次に、水力発電!
山研では、水力発電の研究をしていますが、その水は、建物の裏を20分くらい登ったところからひいています。

私は今回上に行かなかったので写真がないのですが、水源からホースをつないでドラムに流し込んで、また管をつないで、と、それも、ちべた~い雪解け水にてを突っ込んで!中島みゆきの曲を流したくなるくらいの過酷な作業です。

山研裏の発電小屋


神奈川工科大学の杉村先生、そして研究室の学生さん、柴山委員長や先輩方、お疲れ様でした!
水力発電は私も興味津々ですので、委員の先輩方に教えていただいてからブログ記事にしてみようと思っています。


で、上から引いた水を発電設備に流していくわけですが・・・ここでまた事件発生。凍結でバルブが割れてしまいました。
こんな立派な金属が割れちゃうってどれだけの寒さだったのでしょう・・ ((;゜Д゜) ?!

 
割れとるがな・・

と思っていたら、窓から足が飛び出ている・・・。
オヨ?
オヨヨヨヨ?!


古野委員がえみこ委員のビレイで屋根に登攀して気象観測機器の修繕をされた後、窓から戻っているところでした。

 各委員が専門性や能力を活かして、山研は運営・維持されているのですね!


というわけで・・・山研委員が一丸となり、開所作業は完了したのでした。
(今年は雪が少なかったので、そのぶん例年に比べて作業が順調に進行したことも、合わせてご報告いたします。)


お天気がよかったので、お布団も干しましたよ〜。

ふかふかのお布団で、皆様がいらっしゃるのをお待ちしています♪

新米山研委員 わだこ記

2018年4月22日

上高地の門番☆六百山

さんけん開所前ですが、20日に六百山に行ってきました。
河童橋からそそり立つあの山です。


中畠沢にはクマの足跡がいっぱい。親子かな??

落石と死んでる灌木が多いところが注意ポイントです。
山頂は穂高連峰、焼岳、乗鞍岳、上高地が見渡せる絶好のロケーションです。


帰りは雪がズボズボで何度も足をとられました。
日帰りでしたが、充実した1日をめいいっぱい楽しんできました。


さて、さんけんは本日、開所作業を終了し、25日よりご利用いただくことができます。
そして27日は楽しい開山祭(去年の開山祭の様子)!!
上高地からこの山へ、あの山へ。さんけんは会員の皆さんの活発な山登りを応援します!
今シーズンもどうぞよろしくお願いいたします。

見習い山研委員 山下

2018年4月20日

今日の上高地

今シーズンもキラキラです!!
17日からバスも運行が始まりました。
上高地さんけんでお会いしましょう!
明日は開所作業です。
山研委員 山下

2018年4月3日

殺生ヒュッテと小林喜作

以前、芥川龍之介の槍ヶ岳登山について書きましたが、今回のブログでは、山小屋つながりということで、槍ヶ岳の殺生ヒュッテを取り上げたいと思います。

何はさておき、槍ケ岳といえば、登山を始めた人がまずは憧れる山ではないでしょうか。かくいう私は、20165月に山岳会に入会し、槍ヶ岳登頂を目標に師匠のN沢さんの指導のもとでがんばってきました。その年の9月に頂に立った時の感動は私の登山の原点であり、今でも大切な思い出です。そして、その際、私たちが泊まったのが、この殺生ヒュッテなのです。
殺生ヒュッテを見下ろす

槍ヶ岳の肩にある槍ヶ岳山荘(650人収容可能)に比べると、その徒歩で30分ほど下方にある殺生ヒュッテは槍ヶ岳に朝一で登ろうとすると少し不利ですが、比較的空いていて穴場なんです!

さてさて、この殺生ヒュッテをつくったのが、「喜作新道」*をつくったことでも知られる小林喜作です。1922年(大正11)に営業を開始しました(当時は殺生小屋)。
*表銀座の一部で東鎌尾根からの道。それまで4−5日かかった中房温泉から槍ヶ岳間を1日で抜けることを可能にした。



ここで、槍ヶ岳の歴史を少し整理してみましょう。

1828年(文政11) 播隆上人が初めて槍ヶ岳に登頂
1878年(明治11)  ウィリアム・ゴーランド
1892年(明治25) ウォルター・ウェストン
1902年(明治35) 小島烏水
1907年(明治42)    芥川龍之介
1922年(大正11 殺生小屋営業開始
1926年(大正15)に 穂苅三寿雄が槍ヶ岳山荘を建造

上記のように、芥川龍之介が槍ヶ岳を訪れた当時は、まだ営業小屋はありませんでした。彼の記述や友人の証言によると、案内役の上條嘉代吉(嘉門次の長男)とともに、播隆上人が使ったという岩小屋(坊主岩小屋)に泊まったのではないかと考えられています。
見たことのある方はご存知のとおり、岩「小屋」というより、岩の穴ぐらですよね・・・。 

小島烏水が槍ヶ岳を「山水無尽蔵」で紹介したあと、多くの日本人が槍ヶ岳を目指すようになったということですが、営業小屋ができたことも大きかったのではないかと考えます。言い換えれば、最初に小屋と登山道をつくった喜作は先見の明と商才があったといえましょう。

さて、小林喜作というのは、どういう人だったのでしょう。
喜作は、北アルプスで活躍する腕利きのマタギで、カモシカや熊の毛皮を売って生活していました。喜作新道も、元々はカモシカなどの足跡が残る獣道を彼が整備して人が通れるようにした、ということですが、山の動物の生態を知り尽くしている彼だからできたことでしょう。
 なお、信州では狩猟することを「殺生する」というので、小屋の名前もそれにちなんでいるそうです。

なお、 上記の話は、山本茂実著「喜作新道」に詳しいですので、興味がある方はぜひご一読ください。

居心地は別に良くないです・・・
 さて、私が2017年に殺生ヒュッテを再訪した際「喜作新道を読んできました(^o^)/ 」と、小屋のマスターに伝えたところ、喜んでくださって、喜作が殺生小屋を建てている間に寝泊まりしていたという石室に案内してくださいました。テント場からちょろっといったところにあります。

坊主の岩小屋と同じような見た目・・・天井の圧迫感も半端ないし、半泣きになってすぐ出たかったのですが、マスターが「なかなか居心地がいいでしょう?」とニコニコとおっしゃるので、全力で笑顔を作って写真を撮っていただきました・・こんなところで寝泊りなんて(T^T)。芥川龍之介って写真で見るとひ弱そうな印象ですが(失礼)、なかなかのタフガイだったんだなぁ・・・。

ところで、中房温泉-常念-東鎌尾根を経て槍ヶ岳を目指すルートを「表銀座」と呼びますよね。一般には、多くの人でにぎわっているから「銀座」とついたと考えられているようですが、山本茂実は、「喜作が殺生小屋で夕食をとってから、ひょいひょいと銀座を歩くように中房温泉に下って夜に一杯飲んだから「銀座」と呼ばれるようになった」と書いています。まだ表銀座を歩いたことがない私ではありますが・・・、こちらのの説を強く支持したいと思います。喜作のぶっ飛んだ健脚ぶりを現代にも伝えてくれていて、ロマンがあるではないですか。山男に惚れっぽい私なのであります。



新米山研委員わだこ記

2018年3月22日

冬の山研---焼岳スキー編

前回の開所準備編からの続きです。

山スキー初心者の私が、読者の皆さんをいざ、焼岳スキーの世界へご案内します。

私の汗と涙のスキー物語を、堀ちえみ@スチュワーデス物語と重ねて読んでください。

【あらすじ】
2017年1月にスキーを始めるも、プルークボーゲンも微妙なままシーズンが終わる。
20174月末に、当時のJAC副会長・現副会長にマンツーマンでサポートいただき春山スキーデビュー@三田原山をさせてもらうも、大苦戦。

黒歴史写真



悲しいときはこの写真を見て笑おう
ドジでのろまな亀、とN教官


・これではいかん、と、201712月シーズン初めから気合を入れる。現副会長お二人に直接特訓いただく、という幸運に恵まれる。
・が、スキー道は奥が深く、道の険しさを実感。ゲレンデでコソ練(=こっそり練習)に励む。
・最後の飛び道具として、奥志賀高原の某スキースクール通いを決意。しれっと会社の休みをとって合計7日(2+5日)通う。職場の人は、半ば呆れモード。働き方改革ばんざい!

【以下本編】
さて・・前夜お好み焼きで満腹になり、大量に残ったトマト鍋を胃に流し込んでいざ出発です!
***注:以下、本ブログ掲載の写真は、リーダー古野委員/リーダー撮影のものをお借りしております。


元気にハイクアップ!と行きたいところですが、カリカリの雪に苦戦し、私だけまともに登ることができず、スキーを担いで登りました・・





斜面がきつくなってきた・・!



古野リーダーとYさんは無事南峰に登頂。おめでとうございます!!


残りのメンバーは、サブリーダーとともに南峰のコルを目指す。

5番目でオタオタ登っているのが私

下堀沢をいざ滑走。


しかし・・ここからが大変でした。
今年は例年に比べて気温が高いということで、下堀沢は融雪が進んでいました。


デブリと落石



横滑りでずりずり降りれるところまで・・その後は、板を背負って下る・・・



堰堤がうまっておらず、懸垂下降



というわけで・・私の山スキー本格デビュー戦は、大冒険でした。
が、「怖い」という気持ちや不安は一瞬たりとも感じませんでした。緊張感を保ちつつも、笑顔のたえない山行となりました。
これはひとえに、強く優れたリーダー・サブリーダーが、11名という大所帯のパーティーを的確な判断と指導でリードしてくださったおかげでしょう。

私のような昨年始めたばかりの初心者でも、やる気に応えてくださり、引っ張りあげてくださる日本山岳会という組織の度量の深さ、そしてリーダー層の厚さには、ただただ感服するばかりです。
小屋番をしてくださった、安井理事、高橋委員にも、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
皆様ありがとうございました。

冒険は、続く・・・!

山研編集委員 わだこ記


2018年3月21日

冬の山研---開所準備編

4月25日の開所まで、残り1ヶ月あまりとなりました。

3月17日の週末に山研委員有志で、週末に開所前の準備、そして、翌日はバックカントリークラブ(BCC)のメンバーも交えて、焼岳スキーに行ってきました。

山研に着いて早々・・・地下の浴室(脱衣所)と女子トイレに水が漏れていることが発覚!

裏のベランダの氷が溶けて下に水が滴っている・・ということで、氷の除去に乗り出しました。

山研委員同期のえみちゃんと私
氷の除去といっても、一冬積もった雪が固まっているので、厚さは6,7cm以上。
まじですか・・・私の表情も固まりました(=_=)←こんな感じ 

高橋委員の指導のもと、ツルハシを使って端から砕いて行きます。

この際、はっきり言いましょう。山研委員の仕事は、地味で、きつくて、大変です。
でも、だからこそ、委員同士の絆も深まってみんな仲良しだし、やりがいもひとしおなんです♡
とっても楽しい!

さて、ツルハシ初体験の私・・・高橋さんがサクサク砕いているのを見よう見まねでやってみるけど、なかなかうまくいかない・・腰と腕だけが疲れていく・・汗もびっしょり。高橋さんは、私の倍以上の年齢のはずなのに、この差はなんじゃろな〜?

それもそのはず、高橋さんはプロで、山研の水まわりなどのメンテナンスを買って出てくださっています。他の山研委員の先輩方もそれぞれの専門性を活かし、山研運営に携わっています。


さて、氷と格闘した後は、善六沢に汲みに行きました。
今回は人数が多いのでポリタンク4つぶん、80L!

わっしょいわっしょい
暑いので柄杓を帽子がわりに
檄を飛ばす高橋先輩!もう一踏ん張り!


水を汲んだ後は、昼食の準備、そして、岳沢スキーに行っていたBCC組と合流して講習会です。
参加メンバーほぼ全員がそれぞれプレゼンをしました。安井担当理事に「山研と上高地との関わり」をご講義いただいたり、経験を踏まえた登山トレーニングの話に刺激を受けたり・・私は以前ブログにも書いた「芥川龍之介の槍ヶ岳山行」をテーマに、上高地の歴史と当時の登山事情を話しました。

えみちゃんのロープワーク講習はとってもわかりやすかった!

そして、お楽しみの夕飯。メニューはお好み焼き(と、定番の鍋)!人数が多いと、鍋やカレーになりがちですが、古野隊長の号令のもと、フライパンとコンロをフル活用して工場のように、あっという間に10数枚のお好み焼きを焼き上げました。あぁ、美味しかった〜!

次の日の焼岳スキーは・・次回へ続く〜!

山研新米委員 わだこ記

2018年3月16日

スーパーあずさE353系

新宿駅であずさの車両を見かけると胸の奥の方がキュンっとしてしまうのは、私だけじゃないはず!!
かつては東京駅に電車が開通しても、松本へは新宿駅から汽車で行ったのもです。そんなあずさも昨年末に新型車両E353系が導入されました。
明日のダイヤ改正から全てのスーパーあずさが新型車両となります。松本へそして上高地への旅がますます快適になりますね。3人集まれば、あずさ回数券でお得に指定席が取れます。(除外日がありますので注意してください)

E353系
憧れのグリーン車
荷物置き場ができました
松本へ行ってらっしゃい♪松本駅到着時の『まつもと~。まつもと~。』というアナウンスも大好きです!


そしてE351系は本日新宿駅20:00発スーパーあずさ33号を最後に定期運行を終了しました。今日の新宿駅9番ホームにはたくさんの鉄道ファンのちびっ子たち。負けないように一緒に写真を撮ってきました。

見習い山研委員 山下

2018年3月5日

山研委員課外活動:山形大学コーボルトヒュッテにおじゃましました

新米山研委員のわだこです。

私が山研委員会に入ったのは、山岳会での山行を通じて山小屋というものに興味を持ったから、というのが理由の一つなのですが・・・山小屋を訪ねるのが大好きです!

先日、山形大学のコーボルトヒュッテに、OBOGのコーボルト会の皆様にお招きいただきましたので、訪ねた時の様子をお届けします。全国の山小屋研究も山研委員の任務のひとつなのです(きりっ)

コーボルトヒュッテは、蔵王は地蔵岳の北八方沢源頭にあり、蔵王温泉スキー場のゴンドラを乗り継ぎ、スキーで少し下ると到着します。

コーボルト(Kobold)とは、ドイツ語で妖精という意味なのだそう。樹氷の中に可憐に佇むヒュッテは、まさに妖精のよう・・。





1969年に建てられた現在の小屋は、学生寮を建て替える際の廃材を譲り受けて作ったそう。山小屋の建材を自分たちで運ぶのって・・・とっても大変だったろうなぁ・・・。

中は、とってもオシャレな木造の吹き抜け。
オシャレさを伝える写真って難しい・・

外から見ると、小さな小屋に見えますが、13人が泊まっても十分広くて、水道と電気がないことを忘れるくらい、とっても快適に過ごせました。


夕飯は、あら汁とイカ大根という、凝ったメニュー。さすが先輩方、ヒュッテ生活を全力で満喫していらっしゃる。味がしみた瑞々しい大根(コーボルト会の方の畑で収穫されたものです!)は、今すぐまた食べたいくらい、美味しかったです。

美味しすぎて惚けた顔をしているのが、何を隠そう、私です)

夕飯を食べ終わってもまだ7時!山小屋の夜は長いのです。コーボルト会の皆さんに山の歌を教えていただいたり、山形大学が初登頂したMentokの報告書を見せていただいて、いろんなお話を聞いたり。
私が山小屋が好きなのは、こういう時間があるからなんだなー。



お花の季節は、ヒュッテの周りが一面のお花畑になるのだそう。季節を変えて、またお邪魔したくなるような、とっても素敵なヒュッテでした。


コーボルト会の皆様、ありがとうございました!ぜひ、山研にも遊びにいらしてくださいね!

2018年2月13日

芥川君と槍ヶ岳、と上高地

だいぶ前になりますが、こんな本をいただきました。

「芥川龍之介の槍ヶ岳登山と河童橋」

芥川龍之介の槍ヶ岳登山100周年を記念して出版されたものです。

当時17才だった龍之介君が1909(明治42)年に友人たちと槍ヶ岳に登ったときの様子を、彼の「槍ヶ岳に登った記」や、未所収の手記、友人の証言、その他史実を掛け合わせて分析し、推測しています。

龍之介君はどうして槍ヶ岳に登りたいと思い友人たちを誘ったのか、友人一行はどんな行程でたどりついたのか。そして、当時の登山事情とは。。。?

高地といえば、のあの人やあの人も、そしてあの人も登場します!
大変興味深い史料なのであります。

小難しいことはさておき・・、世界に誇る文豪の芥川龍之介も、若き日には友人と冗談を言いながら山に登り、その感動を手記で爆発させている。その様子はほほ笑ましく、そして輝かしい青春を山で過ごしていました。


さて、槍ヶ岳登山が芥川龍之介に大きな影響を与えていることは想像に難くありません。

あまりにも有名な「河童」を書いたのは、その18年後、35才のときで、生命をたった年でもあります。
今この小説を改めて読み返すと、冒頭の文章中に「僕は前に穂高山は勿論、槍ヶ岳にも登つてゐましたから」とありますが、私はこの部分が、もうたまらなく好きです。彼の年譜を見ると、思い悩むことの多かった時期と思われますが、どんな気持ちでこの表現を加えたのでしょう。友人たちと冒険(当時の事情を考えれば、槍ヶ岳登山はまさに冒険だったでしょう)をした若き日々を思い起こしていたのではないか、それだけ槍ヶ岳への思いが強かったのではないか、と想像は止まりません。

そもそも、「河童」を書きたいのであれば、舞台は東北(小説の中には柳田國男の名前も出てきますよね)でも、なんなら、あの河童のユーモアとシニカルな世界を描くなら特定の地名を出す必要さえない訳で・・全て私の素人考えですが。
それでも、芥川龍之介が上高地を舞台に選んだことに、私は彼の槍ヶ岳や穂高への想いを感じるのです。

この本は非売品で入手が難しいようですが、読んでみたいと思った方は、ぜひ来シーズンの山研に遊びにきてくださいね。山研の1階においておきます♪

2018年1月26日

Mt.乗鞍スノーリゾートに行ってきました

南岸低気圧がやってきて、その後すぐに大寒波がやってきた今週、乗鞍高原にスキーに行ってきました。大荒れの3日間。今まで通った中で一番過酷でした。
ゲレンデで携帯電話を出す気になれず、写真は一番下の山麓リフト乗り場。乗鞍岳は一度も顔を見せてくれませんでした。
何で乗鞍に行くのかよく聞かれますが、「一番、山っぽいから!!」が私の答えです。
とっても寒かったですが、深雪三昧。新雪をショートターンで気持ちよく滑れたのは最高でした。
私にとって帰りの車の運転も核心。雪道の運転に自信がない方は新島々駅から路線バスがあります。週末日帰りでしたら、無料シャトルバスもあります。
帰宅後、洗車をしに行ったら、「洗車機凍結中」で車を洗えませんでした。東京も極寒ですね。


さて、ゴールデンウィークの計画はお決まりですか??上高地は5月6月は天候が安定しており、静かでオススメのシーズンです。5月中旬には山研もニリンソウで囲まれることでしょう!
ご不明な点がございましたら、山研委員会にご相談ください。

見習い山研委員 山下

2018年1月12日

上高地帰りに寄り道

新米山研委員のわだこです。

今日は山研には関係ないのですが・・私の上高地帰りの楽しみをご紹介します。

長野県にしかないというスーパーマーケット、ツルヤです。
山によく行く皆さんは、すでにご存知の方も多いことでしょう。

長野出身の友人に教えてもらったこのスーパー、長野ならではのおやきやジャムがたくさん売っているよ!と聞いたので、お店の場所を調べて、帰り道に連れて行っていただきました。

松本IC近くにあるなぎさ店。



店内には、噂に聞いていた通り、オリジナルのジャムがこんなにたくさん・・!


他にも、くるみだれや、軽井沢の有名なお店のコーヒー、かりんとうなどなど、お店オリジナルのものがたーくさんあって、はしゃいでしまいました。

買ったジャムたち集まれ〜!
組体操風
お値段もお手頃なので(しかも高そうに見える(←大事))、おみやげにピッタリです。
私の一番のお気に入りは左上のりんごバター。食パンにたっぷり塗ると・・ああ、想像するだけでよだれが。。

長野といえば!のかりんシロップも。ヨーグルトにかけると甘さ控えめで美味しいんです。

使いかけ写真で失礼します


あーあ、山も山研の話も出てこない記事になってしまいました。(委員長に怒られちゃうかしら)
山研は冬眠中ですが、ブログは細々アップしていきますので、ぜひ読んでくださいね!

新米山研委員 わだこ記

2018年1月3日

冬の蝶ヶ岳へ! その2

もったいぶって、その1からの続きです。

翌朝は6時起床、朝食をとってからいざ蝶ヶ岳の頂上へ向かいます。
個人的には、荷物を置いていったので、気持ちも足取りも軽く歩くことができました。


やったー、快晴!

青空の下、いよいよ山頂へ。



360度の絶景に、涙が出ました・・。
あぁ、頑張ってよかった。本当に良かった。

記念撮影
山座同定をして、2018年はあそこに行きたい、ここにも行きたい、と夢を膨らませました。写真もたくさん撮って。

もっと長居したいところでしたが、稜線は風も強く、寒い寒い。鼻水が凍ったところで撤収!名残惜しい気持ちで、帰路につきました(という、一言で済ませられないくらい、徳沢からの道のりがまた長く感じました・・)


最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
山研もさんけんブログも、ついでに私も、どうぞよろしくお願いいたします🌟

2018年元日
山研新米委員 わだこ


2018年1月1日

冬の山研と蝶ヶ岳 その1

皆様、新年あけましておめでとうございます。

新米委員のわだこです。旧年中は、山岳会の皆様や山研のお世話になり、充実した山岳ライフを送ることができました。ただ山に登るだけでなく、たくさんの方とお会いしてお話しして、山の楽しみ方を教えていただきました。この場を借りて、深くお礼申し上げます。

さてさて!
12月末に、山研委員会主催の講習会と蝶ヶ岳テント泊を経験しましたので、以下レポートです。

まず、冬の山研ですが・・・当然のことながら、水道が使えません。飲料水、生活用水ともに沢に汲みにいき、大事に使います。トイレは簡易トイレを。小梨平に冬季トイレがあるので、そちらを使うこともできます。
普段より不便な点はありますが、マイナス20度になることもあるという冬の上高地で屋根の下、ぬくぬくと過ごすことができたのはありがたいことです。


冬の山研です。奥にある冬季用の入り口から入ります。

ででん!雪が降り積もった上高地もまた美しいです。

山研に入ってからは早速、ロープワークやテント技術の講習を受けました。
私は今回、冬のテントが初めてで、学ぶことばかりでした。ロープワークも丁寧に教えてもらったので、ちゃんと復習しなければ!

翌朝5時起床、朝食をとって朝7時に今回のパーティ3名で出発です。外の気温はマイナス10度だったそうな。
明神を通過するのに1時間半かかりました。積もる雪、肩に食い込む荷物・・


しかし、徳沢までの平らな道でへこたれている場合ではないのです!
蝶ヶ岳にいらっしゃったことのある方はご存知の通り、長塀山が長い。もう、果てしなく長い。昔の人は、うまく名前をつけたものです。

黙々と足と手を動かして、問:まだかいな?!と何度も上を見上げますが、答:まだまだです。


15時になったので長塀山までもう少し、というところでしたが、リーダー判断により2400m
あたりでテントを張りました。この時点で私は、もう疲れ果て、経験のなさも手伝い、テント設営に役立たずぶりを発揮。すみません・・

テントの中では、まず暖をとり、水や靴を凍らさないように、とか、いろんな工夫と生活技術を実践で教えていただきました。それから水を作り、夕飯の豚汁とお茶を飲んで早々にシュラフに潜り込みました。

テントの外は風が強かったですが、翌朝は、晴れるという予報を信じて爆睡したのでした。

(次回に続く!)


新米山研委員 わだこ記